アンパンマンの遺書

信州人、本を読む。

アンパンマン。

誰もが知っている正義のヒーロー。

お腹を空かせた人がいれば、自らの顔をちぎって食べさせてあげる。

自己犠牲を払っても困った人を助ける。

助け合いの世の中において、人生の見本を示すようなヒーローがアンパンマンなのです。

この記事ではアンパンマンの作者であるやなせたかしさんの著書『アンパンマンの遺書』を紹介します。

アンパンマンはどのようにして生まれたのか?

やなせたかしさんはどのような人生を歩んだのか?

アンパンマンが大好きなちびっ子や、今でもアンパンマンが大好きな元ちびっこはぜひ最後まで読んでみてください。

『アンパンマンの遺書』のあらすじ

本書の目次は次の通りです。

  • 起の巻 アンパンマン以前史
  • 承の巻 アンパンマン創成期
  • 転の巻 アンパンマン盛期
  • 結の巻 アンパンマン未来期

上記の中でアンパンマンがはじめに誕生したのは「転の巻 アンパンマン盛期」、アンパンマンのテレビ放送がはじまったのは「結の巻 アンパンマン未来期」。

アンパンマンのテレビ放送がはじまったのは1988年であり、このときやなせたかしさんは、なんと69歳だったのです。

やなせたかしさんは94歳で亡くなっておられるため、35歳でフリーランスになったのちの59年間の人生のうち、アンパンマンに関わっていたは約半分。残りの期間は他の作品を作っていたのです。

しかも、フリーランスになる前は三越百貨店の社員。戦後、日本の雰囲気を明るくするような包装紙のデザインに関わっていたようです。

(デザインそのものは、諸熊弦一郎画伯が担当。やなせたかしさんは「Mitsukoshi」のレタリング(文字入れ)を担当)

「やなせたかし=アンパンマン」というイメージがある多くの方にとっては、やなせたかしさんがアンパンマン以外の仕事をしていたことを意外に思うでしょう。

どのような仕事も一度やってみる

学校を卒業したら会社に就職して一生勤め上げる。

業種や職種にもよりますが、まだまだ日本ではこのような考え方を持つ人が多いかもしれません。

また、フリーランスの人でも会社員時代と同じ仕事で独立した人は、一生同じ仕事しかしないかもしれません。

しかし、やなせたかしさんの人生を振り返ると、アンパンマンにたどり着くまでに様々な仕事をしているのです。

  • 三越百貨店の包装紙のレタリング(三越百貨店の社員)
  • ニッポンビール(現 サッポロビール)『ビールの王様』(4コマ漫画)
  • NHK『漫画学校』(クイズ番組、漫画の先生として出演)
  • ミュージカル『見上げてごらん 夜の星を』(舞台装置)
  • 童謡『手のひらを太陽に』(作詞)
  • 詩集『愛する歌』(山梨シルクセンター(現 サンリオ)から出版)
  • 詩集『歌とメルヘン』(  〃  )

いずれもアンパンマンのイメージが先行するやなせたかしさんからは、なかなか想像できない仕事でしょう。

ちなみに手塚治虫さんの長編アニメーション『千夜一夜物語』にも、キャラクターデザインとして参画されています↓(動画です、音が出ます)

千夜一夜物語

驚くことにさまざまな仕事をしようと思ってやったのではなく、人から依頼された仕事がほとんどだそうです。

その依頼を断らなかったからこそ、さまざまな経験ができて後のアンパンマンに活きたのかもしれません。

フリーランスとして仕事の依頼が途切れないというのは、とてもありがたい状況です。

しかもそれらを断らず、未経験から勉強してでもこなしてきた、やなせたかしさんの姿勢にも脱帽します。

やなせたかしさんは売れっ子の漫画家であるだけでなく、まだ売れない時代からフリーランスの鑑のような生き方をされていたのです。

何歳になっても諦める理由にはならない

前述の通りアンパンマンのテレビ放送がはじまったのが1988年(やなせたかしさん69歳の年)、アンパンマン(当時の表記は『あんぱんまん』)がはじめて世に出たのが1973年だったのです(はじめは絵本)。

54歳になって代表作がようやく産声を上げ、69歳になってテレビで放送されはじめる人生を想像できますか?

54歳といえば会社員で例えると、60歳の定年退職を数年後に控えており第二の人生を考え始めるころでしょう。

近年では本人が希望すれば65歳まで再雇用される企業も増えたため、会社に残るか新しいことをはじめるかの帰路に立たされます。

69歳というと、再雇用も終わり年金や退職金でどう暮らそうか、と考える時期かもしれません。多くの人は仕事をしない生き方を選ぶでしょう

しかし、世間一般の感覚ではこのような年齢でも、やなせたかしさんにとってはようやく青春が訪れたのです。

(やなせたかしさんは1919年生まれのため、22歳のときに太平洋戦争勃発、26歳のときに終戦を迎えています)

これほど高齢になっても、なぜ精力的に漫画を書き続けれたのか?

それは意図的に行っていた健康習慣(※1)のおかげかもしれません。

  • 毎朝腕立て伏せを含む40分の体操
  • 味付は塩ではなくポン酢(塩分の摂りすぎ防止)
  • 寝る時につけるマスク(喉の乾燥を防ぐため)

晩年は多くの病気を抱えて生きておられたそうです。それでも94歳まで生きられたのはこのような健康習慣のおかげかもしれません。

何歳になっても諦めないためには、健康な体が必要になります。

大きな夢を持って生きておられる皆さんは、まず自分の体を大切にしましょう。

そして、自分の夢は必ず叶う、あるいは「自分は夢を叶えるために生まれてきて、今を生きている」と考えてみてもいいかもしれません。

(※1)やなせたかし『93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法』より

改めて『アンパンマンのマーチ』を聴くと

やなせたかしさんの生涯をふまえて、アニメアンパンマンのオープニングテーマ曲である『アンパンマンのマーチ』を聴いてみましょう。

『アンパンマンのマーチ』の歌はこちら↓(音が出ます)

アンパンマンのマーチ

『アンパンマンのマーチ』の歌詞はこちら↓

「アンパンマンのマーチ/ドリーミング」の歌詞 って「イイネ!」
「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび …」勇気をもらったり、泣けたり、癒されたり…、この歌詞をチェックしてみて!人の心を打つ「言葉」がぎっしり!

地球の歴史からすれば、人の人生なんて一瞬です。

やなせたかしさんの人生は比較的長い方でしたが、それでもご自身で振り返ったときには一瞬だったと思われたかもしれません。

そんな一瞬のうちのこの瞬間を生きている。実はそれだけで幸せなことなのかもしれません。

もちろん、現代を生きるうえで困難なことはたくさんあります。「生きている幸せ」を感じるだけですべてが解決するとは思っていません。

しかし、まずは「生きている幸せ」を噛みしめることから、すべてがはじまるのではないでしょうか?

何のために生まれたのか?

何をして生きるのか?

ゆっくりでも構いません。自分の力でそれが分かる人生を歩みたいと思いませんか?

おわりに

この記事ではやなせたかしさんの一生を描いた『アンパンマンの遺書』を紹介しました。

やなせたかしさんは遅咲きの漫画家で、54歳の時に代表作であるアンパンマン(当時の表記は『あんぱんまん』)が世に出て、69歳の時にアンパンマンのテレビ放送が始まりました。

やなせたかしさんのキャリアを作ったのは人から仕事を依頼されるお人柄と、たとえ未経験でも依頼された仕事を断らないスタイル。

そして、何歳になってもチャレンジし続ける気持ちと、それを支える健康習慣でした。

誰でもやなせたかしさんのような漫画家になれる訳ではありません。

しかし望めば誰もが、やなせたかしさんのような生き方をできます。

『アンパンマンの遺書』を読んで『アンパンマンのマーチ』を聴くと、明日からの生き方が少しだけ変わるかもしれません。

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ではまたのちほど。

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