多様性のある社会で生きる方法とは?多様性を「認める」ことへの疑問

考える信州人。

講演会。

世の中には著名人やその道で権威のある方の講演会がいくつもあります。

中には高額なお金を出さないと聞けないものもあるかもしれませんが、主催者が自治体などの場合は無料で聞けるものも多くあります。

ライターとして所属しているメディアの関係もあり、社会問題に興味のある伊奈香澄。

男性の家事育児、ジェンダー平等、子育てとスマートフォンなど多くの講演会を聞いてきました。

今回はその中で感じたことを述べようと思います。

講演会を聞く中で感じたこと

講演会を聞く中で感じたことは、大きく次の三つです。

頭がいい≠話がうまい

頭がいいことと、話がうまいことはまったく別の能力だと思いました。

講演会で登壇するような方は、たいていその道の権威者。当然頭もいい方なのだと思います。

その道の知識はもちろんのこと、地頭力などもあるのでしょう。

しかし、これらの能力がいくらあっても話す能力はまったく別物なのだと思いました。

PCの画面を見ながらボソボソ話す方、プレゼンテーション資料を読み上げる方。

事前に用意された内容は素晴らしいと思いますが、話し方のせいでまったく内容が頭に入ってきません。

時間を守る方とそうでない方

これは話す力以前に、社会人としてのマナーだと思います。

講演を聞きに来る方は、忙しい時間を割いて来ています。次の予定が直後に迫っているかもしれません。

自分の時間がいつまでなのか?残り時間はあと何分なのか?把握するのは社会人としてのマナーではないでしょうか?

あるとき講演会の後に家族に迎えに来てもらう約束をしていましたが、予定時刻になっても終わる気配がないことがありました。

仕方なくスマホを隠しながらLINEで家族に連絡を取ったことがあります。

(↑今思えば隠れてやる必要もなかったかもしれませんが……)

きちんと時間を気にしている方を見ると、素晴らしいと感激していしまいます。

言いたいことがよく分からない方

稀に言いたいことがよく分からない方がいます。

立場やテーマなどから「こういうことが言いたいのかな?」と予測はつくのですが、その言葉が本人からまったく出てこない。

講演の中で出てこないため、質問しても答えてくれない。

何かを変えたい!と思っている方は皆、「自分はこうしたい」という希望を持っているものだと思っていたのですが……

最近はそうでもないのでしょうか?

なぜ、言いたいことがよく分からないのか?

講演会という場であることを考えると、紹介した三つの中では「何を言いたいのかよく分からない」ことは致命的だと思いました。

そこで、なぜそうなるのか原因を考えてみました。

言いたいことがよく分からない理由は、前置きが多い(あるいは長い)からだと思います。

特に男女共同参画のような賛成・反対に意見が分かれるような講演会では、この傾向があると感じています。

登壇者の方はある一定の意見を持っていますが、「〜なわけではないですけど」や「〜をダメと言っているわけではないですけど」のような前置きがあるのです。

前置きがあるため、その後の内容が頭に入ってこず、結局何が言いたいのか分からないのです。

話の前置きが多い理由

ではなぜ、前置きが多く(あるいは長く)なるのでしょうか?

それは聴衆からの無言のバッシングを恐れているのではないか?と思います。

講演の内容に関して、聴衆は何も語りません。しかし、そこにある空気が変わることはあります。

登壇者はそれを恐れているのかもしれません。

だた、登壇者もあくまでも一人の人間です。

ましてやある一定の意見を持っていれば、それに反対する人がいるのは当然でしょう。

しかし、全員の意見が一致することなどあるでしょうか?いいえ、洗脳でもしない限りそのようなことはなかなかないと思います。

と言いますか、いろいろな意見があるのが自然なことだと思います。

自分も多様性のある人間の一人だと認めること

これを克服するためには、自分自身も多様性のある人間の一人だと認めることが大切だと思います。

昨今、世間では「多様性を認めましょう」という考え方が広まっています。(個人的には「認める」という言葉はあまり好みませんが……。)

しかし、これを考えるときに大切な前提条件が一つだけあります。

それは自分自身が多様性のある人間の一人だと認めることです。

「多様性」という言葉に踊らされがちですが、本来人間は一人ひとりが多様性を持っていると思います。

その方向性や程度はその人によって変わります。そのため、第三者が見たときに分かりやすい多様性とそうでない多様性が存在するのだと思います。

しかし、方向性や程度の差はあれ、人は皆それぞれの意見や考え方を持った多様性のある人間なのです。

話の内容が分かりやすかったある登壇者

最後に話の内容が分かりやすかったある登壇者を紹介します。

この方は「子育てとスマートフォン」をテーマにした講演をされていました。

その中で「幼児にスマートフォンなどのデジタル映像(テレビやDVDなどを含む)を一切見せるべきではない」と発言していました。

私はこの意見がすんなり理解できたことに驚きました。

理解できたのは共感できたからではありません。(私は時と場合と見る時間(短さ)によっては見せてもいいと思っています。)

理解できたのは、この方が自分の意見をストレートに言ったからです。

自分と少し意見が合わない部分はありますが、この方は「この方はこう考えているんだな」、「その理由はこういうことなんだな」と納得して聞けました。

この方が聴衆からの無言のバッシングを恐れずに発言してくれたおかげで、私は新しい意見を自分の中に取り入れられたのです。

おわりに

日本人には素晴らしいところがたくさんあります。伊奈香澄は日本人に生まれて本当に良かったと思っています。

しかし、多様性という意味では、もしかすると日本は少し暮らしづらい国なのかもしれません。

昨今、「多様性」という言葉が独り歩きしているように思います。

「多様性」とは自分以外のところに存在し、それを認めてあげることが、これからの国際社会の常識なのだと思っている人もいるかもしれません。

しかし、伊奈香澄は自分自身が多様性の中の一人なのだと認めることだ先だと思っています。

そうすれば視野が広がり、人と会ったり世の中の新しいことを知るのが楽しくなると思います。

※この記事の画像はすべてフリー画像です。文章が多い記事だったため、挿絵は猫にしました。
(ちなみに伊奈香澄は犬派です、笑)

ではまたのちほど。

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