アメリカ合衆国ハワイ州について。

信州人、旅に出る

どうも、会社が休みの日は早起きしてブログを書くのが習慣になっている伊奈香澄です。ブログを書き終える朝8時頃には1日が終わった気分になっています(笑)

今回は久しぶりに『信州人、旅に出る。』シリーズをお届けします。しかも、今回はシリーズ初の海外旅行編です。

今回の舞台はアメリカ合衆国ハワイ州です。ハワイへは2016年に1度だけ行ったことがあります。目的は香澄妹の結婚式です。

旅行ガイドブックには載っていない(!?)、いや誰も載せないであろう伊奈香澄が見たハワイの様子をお伝えします。

ハワイと日本人の歴史。

旅の様子をお伝えする前にハワイと日本人の歴史を少しお伝えしようと思います。

現在、ハワイはアメリカに属していますが、当初は独立した国でした。まだアメリカに併合される前から、ハワイは日本からの移民を受け入れていました。

話は1868年まで遡ります。後に『元来者』と呼ばれる日本からの移民第1号が横浜からハワイに渡ります。人数は150名ほどだったそうです。

因みにハワイが移民を受け入れたのには理由があります。当時ハワイからアメリカへの砂糖の輸出増のため、砂糖きびを大量に栽培する必要がありました。そもそもアメリカで砂糖が品薄になったのは南北戦争により南部からの砂糖の供給量が減ったためでした。

ハワイでは砂糖の供給増に対応するため、多くの人手が必要でした。そのために日本を含めて様々な国から移民を受け入れます。中国、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スペイン、プエルトリコ、朝鮮などからも移民を受け入れたそうです。

ハワイ島でこのようなことが書かれたものを見つけました↓

英語かハワイ語しか見かけないハワイで、貴重は日本の文字を見たことで、ハワイと日本人の歴史を感じました。

ハワイの景色。

旅行ガイドブックに載っていない(!?)内容をお伝えすると言いましたが、あまりに偏った内容だと、

『本当にハワイに行ったのか?常磐ハワイアンセンターの間違いじゃないのか!?』

…と思う方もいるかもしれないので、分かりやすくハワイを表現している景色を紹介します(笑)

まずはホテルの部屋からの眺めを御覧ください↓

泊まったホテルはワイキキビーチの近くでした。周囲に建物は見えますが、その向こうには綺麗なワイキキの海が見えます。

幸い旅行中は毎日晴れていたので、毎朝目覚めと共にこの景色を見ることが出来ました。

ホテルの近くを散歩してみましょう。ワイキキの海はホテルの部屋から見ても、間近で見ても変わらずに綺麗でした↓

日本の海とは色が違います。

日本の海は濃い青のイメージですが、ワイキキの海は薄い青や薄い緑など様々な色が混ざっているイメージがあります。

空が高くどこまでも続いていて、海も生き生きとしています。この景色を肉眼で見られたのは、非常に貴重な体験でした。

もう少しホテルの近くを散歩してみます。

綺麗なのは海だけではありません。海とは反対側の地区を散歩していると川がありました↓

海を見た時のような感動はありませんが、ハワイの日常を知ることが出来たみたいで嬉しかったです。

さらにホテルから離れてみます。↓

今度はヨットハーバーが見えてきました。同じ海でも大自然がある海ではなく、都会の海といった印象です。

因みにこの後も散歩を続けた結果、見事に道に迷いました。。

『地図がなければスマートフォンを使えばいいじゃない!』

…と思うかもしれませんが、スマートフォンのバッテリーは当時流行っていたポケモンGO!のやりすぎで完全に切れていました(笑)

ハワイには日本人観光客向けのバス路線が複数ありますが、たまたまそのバス路線に辿り着きバスに乗って帰ってくることができました。

知らない街で、見覚えのあるバスを見た時の安心感は今でも忘れることが出来ません。

また別の日には別のバスに乗って散歩に出かけました。このバスはワイキキビーチとは違う海沿いを走っていました(すいません、場所は覚えていません)。

その時乗ったバスの写真はこちらです↓

BULE LINEなのにバスの色はオレンジです!

しばらくするとカタカナ表記に変わります↓

乗り口が左側にあるのがとても新鮮でした!

バスの旅で見た景色をお送りします↓

海意外も見ましたが、もはや海しか記憶にございません!

それくらい本当にどこまで行っても、ただ海と空が綺麗でした。

ハワイと日本人の歴史(その2)。

日本人として行かなくてはいけない場所へも行ってきました。その場所はパールハーバーです。

この写真はパールハーバーにある真珠湾攻撃の資料館で撮りました↓

1941年12月7日、旧日本軍はハワイの真珠湾に奇襲攻撃をしかけました。皆さんもご存知の通り、このことがきっかけで太平洋戦争へと発展します。

結局、日本は太平洋戦争に負けることとなります。戦争の最中には原子爆弾による攻撃が2度もあり、日本は太平洋戦争の被害者という見方があるかもしれません。

しかし、この資料館に展示されていた内容は、真珠湾攻撃の資料なので全く反対でした。(まぁアメリカの目線から見るとそうですよね…。)

日本人が義務教育で習う太平洋戦争のイメージは、『アジア諸国は日本からの被害を受けたが、日本は欧米諸国からの被害を受けた。』でしたが、この資料館で受けたイメージは『(真珠湾攻撃では)アメリカは日本から被害を受けた。』でした。

事実を積み上げるとそうなることは頭では分かります。しかし、そういった目線の資料や話に触れたことがなかったので、改めてそう言われると日本人もアメリカに対して反省しなければいけない点が多くあることを知りました。

日本でも食べられる(!?)ハワイの食事。

少し硬い話になってしましましたので、ここからはいつもの伊奈香澄のブログらしく、

『え?そこに目を付けたの!?』

…言われそうな内容をお伝えします。

予め言っておきますが、ロコモコは登場しません(笑)

ロコモコなどハワイの地元グルメももちろん食べましたが、今回紹介するものはちょっと違った視点からお届けします。

それはハワイの日本食です。正確に言うと、『日本で食べられるものをハワイで食べたらどうなるか!?』という実験をしてみました。

1品目に紹介するのはハンバーガーです↓

とても美味しかったです、大満足でした!

しかし、日本で食べるハンバーガーと特に違いはありませんでした(笑)

2品目に紹介するのはうどんです↓

このうどんは有名なうどんチェーンである『丸亀製麺』で食べました。なんとハワイにも進出していました!

これもハンバーガー同様に『日本と変わらない!』

…と言いたいところでしたが、どこか違います。

食べ慣れている丸亀製麺のうどんとは少し違います。

その違いを言葉で表現するのは難しいのですが、例えるならローソンのLチキとファミリーマートとファミチキくらいの違いです。

同じものを食べているはずなのに、ニュアンスと言うかテイストと言うか…、そう!どこかが違うのです。

日本と同じ味ではありませんでしたが、これはこれで満足できる面白い味でした。

日本では走っていない(!?)ハワイの車。

当時から車が好きだった伊奈香澄は出かけた時にハワイの車を見つけては写真を撮っていました。

今からご紹介する車の写真は、どこかがおかしいです。どこがおかしいのか考えながら見て下さい↓

マークを見ると日産の車ですが、皆さんはこんな車を日本で見たことがあるでしょうか?

実はこれらの車は日産の海外専用車種であり、日本国内では一般に販売されていないモデルです。(稀に輸入して乗っている方がいるので、日本で走っていない訳ではありません。)

こういった車種の存在は高校生の頃から知っていましたが、実際に目にしたのは初めてでした。

いやぁ、申し訳ない!車好き、しかも日産車好きにしか分からないと思いますが、香澄妹の結婚式の次に感動したのはここだけの秘密です(笑)

香澄妹の結婚式。

いつもより長く書いてしまったので、そろそろ終わりにしようかと思っていましたが、香澄妹の結婚式のことを書くのを忘れていました。。

香澄妹の結婚式は海沿いの教会で行われました。こじんまりとした教会でしたが、とてもアットホームな印象で海外なのにとても安心感があったことを覚えています。

新郎新婦の写真はこちらです↓

海と空の青、大地の緑に純白のドレスがとても似合います!

教会の中の写真はこちらです↓

実はこの教会はドラマ『プロポーズ大作戦』のロケで使われたことがあります。教会の外はもちろんですが、教会の中もとても綺麗な景色でした。

香澄妹が結婚式を挙げた『アロハ ケ アクア』はこちらにあります↓

週末に新幹線でハワイに行く用事がある人は寄ってみて下さい(笑)

因みに伊奈香澄はそんな都合の良い用はありません。

結婚式が終わった後、新郎新婦意外の親族は専用のリムジンでホテルに戻りました。その途中、リムジンのエンジンルームから煙が出て車が止まり、ホテルまで歩いて帰ったのは良い思い出です(笑)

最後に。

いかがだったでしょうか。

今回は『信州人、旅に出る。』海外特別編ということで、アメリカ合衆国ハワイ州の様子をお伝えしました。

ハワイは長期休暇に遊びに行く場所というイメージが強いですが、ハワイと日本人の歴史は古く学ぶことも多くありました。

また、食べ物や車など日本にありそうでないものも多く見ることが出来ました。

そしてなんと言っても忘れられないのがハワイで見た景色です。

因みに香澄妹と旦那さんは2人の子どもに恵まれて今でも幸せに暮らしています。ハワイの透き通った海のように、香澄妹家族の幸せがどこまでも続くことを願って終わりにしたいと思います。

ではまたのちほど。

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