どうも、マニュアル車に乗り始めて9年近く経つのにクラッチがうまく繋げない伊奈香澄です。発進は問題なく出来ますが、1速から2速の繋ぎが下手くそです(笑)
今回は『考える信州人。』シリーズをお届けします。
皆さんはやる前から『大変そうだなぁ。』とか『面倒くさそうだなぁ。』と思ってやらずに終わることってないですか?
伊奈香澄はよくあります(笑)これを『不戦敗病』と呼ぶことにしましょう。
YouTubeでabc(アメリカのニュース番組)を見て英語耳を鍛えようとか、料理を作る時はちゃんとレシピを見ようとか、不戦敗病にかかった例は多々あります。
そんな中、最近1つだけ不戦敗病を克服したことがあります。それは確定申告です。
『伊奈香澄って確か会社員でしょ?なんで確定申告をするの??』
…と思った方は鋭いですね!
実は株式投資で1,000万円ほど売却益が出まして。
…と言いたいところですが、ふるさと納税のワンストップ特例制度の期限を忘れていただけです(笑)
おかげで生まれて初めて税務署に行きました。
確定申告はそれほど大きな話ではありませんが、実はこれまで他にも不戦敗病を克服してきました。
今回は克服してきた不戦敗病と、今後どのように生きていくか!?というテーマで少しだけ講演のお時間をいただきたいと思います。
克服した不戦敗病その①〜ダイエット〜
伊奈香澄は太りやすい体質です。その上お酒が好きなので、おつまみもよく食べます。
そんな体質&食生活なので継続して運動をしないとすぐに体重が増えます。
いいえ、運動をしていても食べすぎて体重が増えたこともありました(笑)
高校生の時の体重は60kg台前半でした。伊奈香澄の身長は171cmなので標準的な体重でした。
しかし、大学生になり研究室に配属されるような学年になると、研究が忙しい時期には運動をしなくなりました。しかも、そういう時期に限ってストレスでお酒や食事の量が増えていました(汗)
体重はみるみるうちに増加し、大学を卒業する頃には70kg台半ばになっていました。(因みにこの頃は自分が太っているという自覚はありませんでした。)
会社に入って3年ほどは70kg台半ばをキープしていましたが、4年目に転機を迎えます。
異動で部署が変わり、新しい部署で仲良くなった先輩が大食いだったのです(笑)しかも、その先輩は太っ腹なのでよくご飯を奢ってくれました!
牛角、スタミナ太郎、くら寿司にかっぱ寿司…。その先輩はどこのお店でもたくさん食べました。そして伊奈香澄はどこのお店でもたくさん勧められました。
その結果、伊奈香澄の体重はさらに増えてみるみるうちに80kg台半ばとなりました。(因みにこの頃になってようやく『少し太ったかな?』と思う程度でした。)
その頃は運動も特にしていなかったので、食べたら食べた分だけ太りました。やったらやった分だけ稼げるマルチ商法と同じ原理です(笑)
会う人みんなに『最近太ったな。』と言われても、『一度増えた体重を落とすのはそんなに簡単じゃないしなぁ。』と思い、何もしませんでした。
しかし、そんな伊奈香澄でも『これはさすがにまずい!』と思うことがありました。
ある時横断歩道を渡ろうとしていました。青信号が点滅したので急いで渡ろうと思い走りました。その距離ほんの数メートルです。
その後、伊奈香澄はどうなったでしょうか?
息切れしたうえに、体重が膝にかかり膝が痛くなりました。。
これをきっかけにダイエットをするようになりました。
甘いジュースをやめ、無糖の炭酸水を飲むようにしました。運動は全くしていませんでしたが、自転車に少しずつ乗るようになり、1ヶ月くらいで数十キロメートル走れるところまで体を戻しました。(体重はまだほとんど減っていませんでした。)
実はその後始めた水泳が減量にとても効きました。平日はほぼ毎日仕事帰りにプールに行って1時間ほど泳ぎ、休日は2〜3時間ほど自転車(ロードバイク)に乗るという生活を2年ほど続けました。
その結果、当初85kgあった体重は63kgまで減少しました。
ひと月に1kg程度の緩やかな減少だったので、リバウンドをすることもなく、現在に至っています。(最近は+2kgくらいになっています、汗)
それでも85kgまで戻ることはもう2度とないでしょう。あの時、横断歩道でみじめな思いをしなければここまで体重を落とすことは出来なかったかもしれません。
克服した不戦敗病その②〜信州への移住〜
伊奈香澄は信州で生まれましたが、3歳の頃に香澄父の実家がある兵庫県に引っ越します。
小学生〜高校生の頃は家族と一緒に長期連休の度に信州へ来ていました。また、大人になってからは信州に比較的近いさいたま市や千葉市に住んでいたこともあり、ひと月に1回くらいのペースで信州へ来ていました。
そのため、『いつかは信州へ移住したい。』という思いが強くありました。
思えば何度かチャンスはありました。大学進学の時には実は信州の大学にも合格していましたが、就職活動のやりやすさを考えて埼玉の大学に進学しました。
また、就職の時には信州の会社の一次面接に合格していましたが、他の会社から先に内定をもらえたため、二次面接以降の試験を受けずに辞退してしまいました。
そんな環境の中で伊奈香澄がいつか信州に移住したいと思う『いつか』はいつの間にか老後になっていました。
しかし、30代に入ったある時ふと思ったのです。
『今ならまだ転職をするのに遅くはない。それに独身だからどうにでもなる。』と。
移住を決断する前は『就職先はあるか?』とか『町内会費はいくらかかるのか?』とか『消防団には入らないといけないか?』など、移住と本質的に関係のないことで悩んだ時期もありました。
しかし、いざ決断してしまうとそんなことはどうでもよく思えてきました。
転職活動を開始し、会社に退職の意を伝え、住民票を香澄母の実家に移すところまではあっと言う間でした。
3月末での退職を予定していたので、3月末までに転職先を決めるつもりでしたが少し計算が狂います。第一志望であった香澄母の実家から通えるメーカーの就職試験に落ちてしまったのです。。
落ち込んでいる暇はないので、その後も諦めずに転職活動を続けました。その結果、現在勤務しているメーカーの就職試験に合格することが出来ました!
これで無事に移住をすることが出来ました。
因みに現在勤務している会社は、大学生の頃に就職活動で二次面接を辞退した会社です。(これも何かの縁だと思い、ありがたく働いています。)
30代に入ったあの時のふとしたきっかけがなければ、信州に移住していなかったかもしれません。
不戦敗病にならないためには?
ここまで伊奈香澄が不戦敗病を克服した話を2つ紹介しました。しかし、これは決して自慢したいわけではありません。
(今でも前の会社で楽しく働いている夢を見る時があります。)
さすがに、前の体重に戻って楽しく飲み食いしている夢は見ませんが(笑)
皆さんには伊奈香澄の経験から未来に繋がるヒントを得てほしいと思っています。
それは不戦敗病にならないためのヒントです!
人は何かきっかけがないと変わりません。
そのきっかけは地獄のどん底にあるかもしれません。あるいはふとした日常にあるかもしれません。
そのきっかけを見逃さないために、色々なことを感じられる深い心を持ってほしいのです。
人はそのきっかけにさえ出会うことが出来れば、がむしゃらになれます。
『がむしゃら』という状態はなろうとしてなれるものではありません。自分自身を含めて誰に言われるでもなく、自然とそうなるものだと思います。
人は振り返って『あれがきっかけだったのか。』と思える頃に結果が出ているものです。
ある程度がむしゃらになったら一旦立ち止まって振り返ってほしいのです。その時、あなたは既に以前のあなたではないはずです。
最後に。
いかがだったでしょうか。
皆さんの貴重なお時間を頂いて熱く語ってしまいました(笑)
伊奈香澄は自分の未来を変えられるのは自分の行動だけだと信じています。皆さんも是非、自分が進みたい未来に向かって自分の足で歩き出してみて下さい。
伊奈香澄もいつか『マニュアル車の運転』の不戦敗病を克服したいと思います(笑)
ではまたのちほど。